私が26歳で芸人を始めるまでの経緯

  • 2024年3月27日
  • 2024年3月27日
  • お笑い

以前、マセキ芸能社のオーディションライブ『オリーブゴールド』に出演していたときのことを書いた。

※詳しくはこちら→オリーブゴールド①

しかし、私がそもそも芸人になる前は何をしていたのか、なぜ芸人になったのかをあまりお話ししたことがなかったように思う。この記事では、私が26歳で芸人を始めるまでの経緯について書いていく。

 

子どもの頃からお笑いは好きだった。テレビに出ている芸人さんのモノマネをしたりして遊ぶこともあった。冗談で「お笑い芸人になる!」と言っていた時期もあった。まさかその後本当に芸人になるとは思わなかったが……。

お笑い以外ではピアノやゲーム、読書が好きなインドアな子どもだった。特にピアノは大学時代までずっと習っており、お笑いよりも遥かに多くの時間を注いできた。

 

高校生のとき、たまたまテレビをつけたらやっていたキングオブコントで、かもめんたるさんのコント『言葉売り』を見た。宝くじで高額当選した女性と、路上で詩を書いて売っている青年が会話するコントである。

衝撃だった。

それまで私は「お笑い芸人=明るい人が変な動きや言葉で笑いを取る人たち」だと思っていた。しかしかもめんたるさんは、人の嫌な部分を表現する演劇のようなコントをしていた。ネタが終わった後、思わず「すごい!」と声が出た。

 

その年のキングオブコントで、かもめんたるさんが優勝した。かもめんたるさんが優勝するお笑いの世界って良いなと思った。

 

とはいえ、かもめんたるさんをきっかけにお笑いの世界へ……とはならなかった。ピアノが好きだった私は、将来は音楽の道に進めれば良いなと思っていた。私はただのライトなお笑い好きのまま、1年の浪人期間を経て大学に進学した。

 

大学時代は音楽教育を専攻した。元々は教育に興味はなく音楽のみを学びたかったのだが、第一志望の大学の倍率にひるんだ私は、近場の音楽教育が学べる大学に進学した。レストランでピアニストのアルバイトをしたり、ジャズを演奏するサークルに入ったりして、自分なりに音楽を追求しようとした。

大学4年次にはフランスへの交換留学を経験し、ピアノや音楽理論、作曲などをより深く学ぶことができた。交換留学から戻ってきた後は、YouTuberの方などに音楽を提供して小金を稼いでいた。

↑今まで音楽を学んできた経験を生かして作った歌ネタ

大学を2年留年して(コロナウイルスの流行でフランスから緊急帰国することになり、学問へのモチベーションが完全になくなった)何とか卒業した後、個人事業主として半年くらい音楽制作をしていた。しかし、個人事業主としての生活は思ったよりも大変だった。

 

まず全然稼げない(芸人になったら比べ物にならないほど稼げなくなったが……)。音楽で食べていくのはハードルが高いと感じた。

そして楽しくない。個人事業主になってから私は、クライアントの注文通りの曲を作るのではなく、自分の好きな曲を作って認められたかったということにやっと気づいた。

 

私が音楽のほかに好きだったことって何だっけ?と考えた結果、昔からお笑いが好きだったことを思い出した。そして思い立つ。

 

「お笑い芸人になろう」

 

さっそく行動。高校生のときに見たかもめんたるさんのようなコントがしたくて、ネットの掲示板で相方候補を探した。何人かの方からメッセージを頂き、メールでやり取りした。

その後3人くらいの方とZOOMで話したが、いまいちピンと来なかった。「自分には何もないけど時間ならあります」という方に対しては「何もない人と組みたくないんだけど」と感じた。「個性が出るので男女コンビを組みたい」という男性と話したときには、「性別に頼らないと個性が出せない人なのだろうか」と思ったりもした。

 

私の性格ではコンビは難しいかもしれない。ここで初めて「ピン芸人になる」という選択肢が浮かんだ。

 

しかし私はかもめんたるさんの影響もあり、コンビ芸人のコントが好きだったので、今までピンネタに注目したことがなかった。ピン芸と言えばR-1ぐらんぷり(現在はR-1グランプリ)だと思った私は、ひとまず動画配信サービスで過去のR-1を見てみることにした。

 

何本目かで2011年のR-1グランプリを見た。この年優勝したのは佐久間一行さん。佐久間さんが1本目に披露したネタ『井戸のお化け』を見た。

↑佐久間さんが2011年のR-1について語っている動画

『井戸のお化け』は、佐久間さん扮するピンクの全身タイツを着た井戸のお化けがひたすら歌うネタである。このネタを見たときは、笑うと同時に圧倒された。私のようなペーペーの芸人が言うのもおこがましいが、作品として完成されていると思った。かもめんたるさんのネタを初めて見たときとはまた違った衝撃だった。

 

この年のR-1ぐらんぷり決勝は8人の芸人が争うトーナメント方式で、最終決戦に行った芸人は3本のネタを披露しなければならなかった。佐久間さんは歌ネタ、フリップ、コントと全く違う種類のネタを3本やって優勝した。

そんな佐久間さんの姿を見て「ピン芸人ってこんなに自由なんだ!」と感銘を受けた。「一人でやるからこその面白さがある」ということを佐久間さんから学んだ。

 

その月のうちに、佐久間さんが毎月やっているライブを見に行った。ネタだけでなく、トークでもたくさん笑った。

↑当時のメモ。マセキのオーディションのエントリー用紙を書くにあたって、目標としている芸人に佐久間さんの名前を挙げさせていただいた。

佐久間さんのライブを見た私は、ピン芸人としてやっていくことを決断した。お笑いを始めるにあたって養成所に入ることも少し考えたが、お金がない、既に26歳である、「お笑い養成所=YouTuber専門学校みたいなもの」と思っていた、などの理由でやめた。

 

そして芸人活動開始と同じくして、マセキのオーディションを受けるようになる。マセキのオーディションライブに出ていた頃の話はこちら↓

オリーブゴールド①

 

以上が私が26歳で芸人を始めるまでの経緯である。

 

芸人には皆ルーツがあると思う。演劇をやっていた、スポーツをやっていた、お笑いマニアだった、など。

私のルーツは間違いなく音楽。芸人をやるにあたって音楽は封印しようと考えていた時期もあったが、歌ネタをやるようになり、今まで経験してきたことがお笑いに生きるものなんだなと感じている。

 

そしていつか、かもめんたるさんや佐久間さんと肩を並べられるくらいの芸人になりたい。道は長そうだが。

 

【お知らせ】

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